目の前で起きていることが見えないことがある。
あるサラリーマン(A氏)が電話をかけていた
「はい、いつものリナちゃんを指名します。
今から一時間後に〇〇ホテルでお願いします。」
彼は今から女性と二人っきりになって
「あること」をするようだ。
「またあの人、私を選んでくれたんだ!
あの人、優しいから気に入ってるんだよね」
指名されたリナはうれしそうに
いそいそとホテルへ向かった。
「こんにちは、リナでーす」
「よく来てくれたね、すごく会いたかった」
リナとA氏はベッドに座り、見つめ合った。
・・・
リナがホテルの一室に入っていく様子を
じっと見ている人物がいた。
A氏の妻だ。
A氏の様子がおかしいのに気づいて
ずっと後をつけていたのだ。
・・・
一時間後、リナがホテルの部屋から出てくると
A氏の妻はつかつかとリナに歩み寄り問い詰めた。
「あなた、私の夫に何をしたの!?」
リナは叫んだ「違うんです!誤解なんです!」
・・・
目の前で起きていることが理解できない、
見えないことがある。
私たちは物事を判断するときに
自分の価値観や過去の記憶をたどって
色々な解釈をしている。
私たちが見ている全ての事は
自分の過去や価値観だということ。
「夫がいかがわしいお店に電話して
ホテルで女性と会っている」
これを自分の価値観と記憶を
通して見ることで
「夫は浮気をしている」
と結論付ける。
・・・
自分がトレードし終わった後に
冷静にチャートを見て不思議に思う。
「はっきりと下降トレンドなのに
なぜ底を取ろうと買いばかりしたのか?
なぜ売りを入れようとしなかったのか?」
目の前のチャートを見ているつもりでも
実は自分の過去の記憶、価値観を通して
チャートを見ていたからだ。
「下値が堅そうだから反発上昇するだろう」
「こんなに下がってるんだから
そろそろ戻りが入るだろう」
目の前に起きている事をありのままに見る
というのは実は結構難しかったりする。
トレードルールとはそもそも何か?
過去に起きた傾向を自分の味方にすること。
「過去にこんなパターンが起きている。
これからも同じようなパターンで
動いていくだろう」
という予測の元にできているもので
未来を当てたり予想するものではない。
しかし
「こうなっているパターンだから
次はこうなるはずだ」
と解釈してしまうと
トレードルールとは未来を当てたり
予想するものだと思い込んでしまう。
そうなると当たった、当たらなかった
ことにより感情的になって必要な行動が
できなくなったり
やみくもにトレードルールに
従うだけになったりする。
下がり続けているのに
「もう下がるだろう
そろそろ下がらないとおかしい」
自分勝手に解釈し始める。
「これは下降トレンドだった」
気づいて売りを入れ始めてももう遅い。
相場が反転する頃だからだ。
「しまった、なぜもっとはやく
気づかなかったんだろう!」
ますます頭に血が上って
目の前にあるチャートが
さらに見えなくなってしまう。
利益を出すことが大切なのに
リベンジすることの方が
重要になってくる。
「おかしい、俺はこんなハズじゃ
なかったのに!」
必死で今までの負けを取り返そうとする。
ドツボにハマっても頭のてっぺんまで
泥沼にはまり込むまで気づかない。
なぜこんなことになってしまうのか?
「俺は全て分かっている。見えている」
と思い込んでいることに気づいていないから。
「上手にトレードしよう」
と思ってしまっているから。
見えていないしわからないし
上手にトレードなんかできない、
ってのが自然に出てこない限り
迷路にはまり込んでしまう。
・・・
リナはA氏の妻に話をした。
「奥さん、冷静になって
私の話を聞いて頂けますか?」
「奥さんには、娘さんがいましたよね?
小さい頃にAさんがよく絵本を読み聞かせて
いたって聞きました。
でも、事故で亡くなったんですよね?」
「その娘さんに、私が似ていると
Aさんはおっしゃいました」
「娘と一緒にいると思って、少しの間だけ
絵本を読ませて欲しいと彼は言いました」
「そういう理由で、いつも私に
絵本を読んでいただけなんです」
「誤解されることは覚悟していますが
奥さんの考えているような関係ではないのです。」
・・・
A氏の妻はリナの説明を聞いて
どう思っただろう?
自分の過去の記憶、価値観を通さずに
目の前に起きている出来事を捉える事が
できただろうか?
それとも
「そんなイイワケが通用すると
思ってるの!?」
鬼の形相でA氏の元へ
走っていっただろうか・・・